
神保町といえば、古書店が並ぶ「本の街」として知られています。
一方で、街を歩いているとカレー店の看板もよく目に入ります。
「本の街なのに、なぜこんなにカレー店が多いの?」
そんな疑問を持ったことがある方もいるのではないでしょうか。
私自身、数年前までは神保町といえば「本の街」というイメージが強く、なぜこれほどカレー店が多いのか深く考えたことはありませんでした。
しかし、街の歴史やカレー店が増えてきた流れを少しずつ調べていくと、「なるほど、こうした要素が重なって“カレーの街”として知られるようになったのか」と納得する部分がいくつもありました。
結論からいうと、神保町が「カレーの街」になった理由は1つではありません。
学生街・本の街として発展してきた神保町にカレー店が増え、個性的な老舗や専門店が長く営業してきました。
さらに2000年代初頭のメディア露出や、2011年に始まった神田カレーグランプリなど、複数の要素が重なって「神保町=カレーの街」というイメージが広がっていったと考えるのが自然です。
この記事では、神保町にカレー店が多い理由を街の歴史からたどりながら、実際に神保町で働き、カレー店を食べ歩いている私が感じた現在の街の様子も紹介します。
神保町がカレーの街になった理由は1つではない
神保町が「カレーの街」として知られるようになった背景を整理すると、大きく次のような流れがあります。
- 大学や学校が集まり、学生街として発展した
- 学生や教育関係者が集まったことで、古書店や出版社が増え「本の街」になった
- 老舗や個性的なカレー専門店が増えていった
- 2000年代初頭に雑誌などで「神保町のカレー」が多く取り上げられた
- 2011年以降、神田カレーグランプリなどによって「カレーの街」としての認知がさらに広がった
神保町のカレーについて調べると、「本を読みながら片手で食べやすかったからカレーが広まった」という話を目にすることがあります。
神保町らしいエピソードですが、これだけで現在のカレー店の多さを説明できるわけではありません。
街の歴史、店の積み重ね、そして「カレーの街」として広く知られるようになった過程を分けて考えることが大切です。
学生街・本の街という神保町の背景
神保町が現在のような街になった背景には、教育施設との深い関わりがあります。
千代田区の資料によると、明治以降、一ツ橋周辺には大学や各種学校などの教育施設が集まりました。それに伴って、学生や教育関係者を対象とする書店、古書店、出版社、印刷・製本業なども発展していきます。
こうして神保町は、学生が集まる街であると同時に、全国的にも知られる古書店街へと成長していきました。

現在も神保町には多くの書店や古書店が並んでいます。
現在も神保町を歩くと、靖国通りやすずらん通り周辺を中心に多くの書店・古書店を見ることができます。
カレーだけが独立して発展したのではなく、多くの学生や働く人、本を求めて訪れる人が行き交う街の中で、飲食文化も育っていったと考えると分かりやすいでしょう。
「本を片手にカレー」は有名な説のひとつ
神保町とカレーの関係でよく語られるのが、「読書をしながらでも、スプーンを使って片手で食べやすかったためカレーが好まれた」という説です。
千代田区観光協会でも、神保町でカレー店が栄えた理由について「一説」として紹介されています。
本の街・神保町らしく、思わず納得したくなる話です。
ただし、「この習慣があったから神保町にカレー店が増えた」と確認されているわけではありません。
そのためこの記事では、神保町のカレー文化を説明するエピソードのひとつとして扱います。
老舗や専門店が増え、神保町にカレー店が集まっていった
神保町には、長く営業を続けてきたカレー店や、現在も多くの人が訪れる専門店があります。
代表的な店として名前が挙がるのが、共栄堂、ボンディ、まんてん、エチオピアなどです。

神保町で長く親しまれているボンディカレー
面白いのは、「神保町のカレー」といっても、どの店も同じようなカレーではないことです。
私はこれらの店にも実際に足を運びましたが、それぞれ味だけでなく、店内の雰囲気や注文方法なども異なります。
ひとつのスタイルだけが残ったのではなく、さまざまなタイプのカレー店が同じエリアで営業していることも、神保町を食べ歩く面白さのひとつだと感じています。
こうした店が長年営業し、新しい店も加わってきた積み重ねが、現在の神保町のカレー文化につながっています。
「神保町=カレーの街」という認知が広がった2000年代初頭
現在では「神保町といえばカレー」というイメージがありますが、昔から一般的にそう認識されていたわけではないようです。

2000年代初頭には、神保町のカレーを取り上げる雑誌特集が増えていきました。
東洋経済オンラインが過去の雑誌を調査した記事では、1990年代後半には神保町が「知る人ぞ知る」カレーの街として紹介されていた一方、
2000年代初頭になると神保町のカレーを取り上げる雑誌特集が急増したとしています。
つまり、カレーの有名店自体はそれ以前から存在していましたが、
「神保町=カレーの街」というイメージが広く知られるようになる一つの転機が2000年代初頭だったと考えることができます。
ここは、「カレー店が増えた時期」と「カレーの街として広く認識された時期」を分けて考えると理解しやすいところです。
2011年に始まった神田カレーグランプリも後押し
その後、「カレーの街」というイメージをさらに発信する取り組みとして始まったのが、神田カレーグランプリです。
神田カレー街活性化委員会によると、「カレーの街」として神田を広くアピールする取り組みを2011年から開始し、その中心となるイベントとして神田カレーグランプリを開催しています。
2011年の第1回大会には神田界隈の20店が参加し、2日間で3万人を超える来場者が集まりました。
神保町だけに限定したイベントではなく神田界隈を対象としていますが、こうした取り組みが、神保町を含む周辺エリアを「カレーを食べ歩く街」として知ってもらうきっかけのひとつになったと考えられます。
2026年に実際に歩いて感じた現在の神保町
歴史を調べていくと、神保町が現在の「カレーの街」になるまでに、いくつもの段階があったことが分かります。
では、現在の神保町を実際に歩くと、どのように見えるのでしょうか。

2026年現在も、神保町には古書店や飲食店、オフィスなどが混在しています。
私は神保町で働き始めて5年ほどになります。昼休みには神保町周辺だけでなく、少し足を伸ばして小川町や淡路町方面までカレーを食べに行くこともあります。
とはいっても、普段歩くのは神保町から徒歩10分ほどの範囲です。
カレー店は一か所ではなく街の中に点在している
実際に歩いて感じるのは、カレー店だけがずらっと並ぶ「カレー通り」のような場所があるわけではない、ということです。
古書店、喫茶店、一般の飲食店、オフィスなどが並ぶ街の中にカレー店が点在しています。
古書店を見ながら歩いていると、その少し先にカレー店の看板が見える。さらに歩くと、また別のカレー店が現れる。
普段からこの周辺を歩いていると、そんな感覚があります。
さらに神保町から小川町・淡路町方面へ歩くと、カレー店が集まっている一角があります。
私の感覚では、神保町と小川町、淡路町の間に、カレー店がひしめく「三角地帯」のようなエリアがあります。
この周辺にはエチオピア本店や鴻(オオドリー)などがあり、私自身も何度もカレーを食べに足を運んでいます。
神保町だけを見るのではなく、徒歩10分ほど範囲を広げて歩いてみると、「この辺りには本当にカレー店が多い」と改めて感じます。
学生だけでなく平日のランチでは会社員の姿も目立つ
神保町周辺には明治大学などがあり、街の歴史を調べても「学生街」という言葉がよく出てきます。
実際、この周辺には学割を実施しているカレー店も数軒あり、現在も学生がカレー店を利用していることがうかがえます。
一方で、私が平日のランチタイムに神保町から小川町方面を歩いていると、学生だけでなく会社員と思われる人たちの姿もよく見かけます。
一人で食べに来ている人だけでなく、会社員と思われる数人のグループを見かけることもあります。
特に、私が何度も足を運んでいる鴻(オオドリー)では、訪れるたびに会社員と思われる人たちの姿をよく見かけます。
私自身も神保町で働きながら、昼休みにこの周辺のカレー店へ足を運んでいる一人です。
そのため現在の神保町周辺のカレー店は、学生だけでなく、周辺で働く人たちの普段のランチとしても利用されているように感じています。
「本を片手に」より「スマホを片手に」をよく見かける
神保町とカレーの関係では、「本を片手にカレーを食べた」という説がよく語られます。
しかし、少なくとも私が普段この周辺のカレー店を利用している中では、本を読みながらカレーを食べている人を見かけることはほとんどありません。
その一方で、スマホを見ながら食事をしている人はよく見かけます。
もちろん、これは現在の私自身の観察であり、昔の神保町で実際にどのような食べ方がされていたのかを否定するものではありません。
それでも、かつて「本を片手に」と語られた神保町で、現在は「スマホを片手に」食事をする人をよく見かけるのは、時代の変化を感じるところです。
学生街・本の街としての歴史を残しながら、現在は学生だけでなく会社員も利用し、本の代わりにスマホを見る人もいる。
実際に日々この街を歩いていると、昔から続く神保町らしさと、現在のランチ街としての姿が重なっているように感じます。
よくある質問
Q. 神保町のカレーと本には本当に関係がありますか?
「本を読みながら片手で食べやすかったためカレーが好まれた」という説があり、千代田区観光協会でも一説として紹介されています。
ただし、それだけが神保町にカレー店が増えた理由と確認されているわけではありません。
学生や本を求める人が集まる街だったこと、老舗や専門店が増えてきたことなど、複数の背景をあわせて考えるのが自然です。
Q. 神保町はいつ頃から「カレーの街」として知られるようになったのですか?
カレーの有名店は以前から存在していましたが、過去の雑誌記事を調査した東洋経済オンラインでは、2000年代初頭に神保町のカレー特集が急増したとされています。
そのため、一般にも「神保町=カレーの街」という認知が広がった一つの転機として、2000年代初頭が挙げられます。
その後、2011年に始まった神田カレーグランプリなどの取り組みも続いています。
まとめ|神保町のカレー文化は街の歴史とともに育ってきた
神保町がカレーの街になった理由を調べてみると、「本を読みながら食べやすかったから」という一つの話だけでは説明できないことが分かります。
大学や学校が集まる学生街として発展し、古書店や出版社が増えて「本の街」になった。
そこに老舗や個性的なカレー店が増え、2000年代初頭にはメディアで「神保町のカレー」が多く取り上げられるようになった。
さらに2011年以降は、神田カレーグランプリなどを通じて「カレーの街」というイメージが発信されてきました。
そして現在、実際に神保町を歩いてみても、カレー店は古書店やオフィスなどの間に自然に溶け込んでいます。
「本の街」と「カレーの街」は別々に存在するのではなく、神保町という街の歴史の中で重なりながら育ってきた。
神保町でカレーを食べるときに、そんな街の背景を少し思い出してみると、いつもの一皿も少し違って見えるかもしれません。
※歴史に関する記述は、千代田区、千代田区観光協会、神田カレーグランプリ公式、東洋経済オンラインの公開情報を参考にしています。「本を片手にカレー」という話は、確認できる資料に合わせて「一説」として扱っています。


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